お知らせ
NEWS
八田與一没後80周年記念式典映像の公開について
今年(2022年)5月8日に八田與一没後80周年記念式典が台南市政府により盛大に行われました。
式典開催当時、コロナ禍の入境制限によって、残念ながら台湾友の会はツアーを組んで式典に参加することはできませんでしたが、この度、八田與一の功績を偲ぶと共に、会員の皆様及び多くの方々に日台交流の根底にある絆をより知ってもらえるよう、式典映像を制作致しました。皆様に是非ご覧頂ければ幸いです
「台湾友の会」は、今後も日本と台湾の友好交流の促進を目指して幅広く活動を進めて参ります。
*八田與一(はった よいち)
八田 與一は、台湾で不毛の大地と呼ばれていた嘉南(かなん)平原に、堰堤長1,273mという当時では東洋一の規模である「烏山頭(うさんとう)ダム」と、総延長16,000kmにおよぶ給排水路を完成させ、その成果によって嘉南平原は台湾一の穀倉地帯となりました。台湾では、このダムと給排水路をあわせて「嘉南大圳(かなんたいしゅう)」と呼んでおり、與一は「嘉南大圳の父」として、現在でも台湾で多くの人々に慕われ続けています。
▲八田與一没後80周年記念式典映像
「はちおうじNPOフェスティバル2022」
今年(2022)11月3日(木)に本会は八王子に拠点をおく「NPO法人おもてなし国際協議会」様と共同で「はちおうじNPOフェスティバル2022」に出展して参りました。
「はちおうじNPOフェスティバル」は、八王子市市民活動支援センターが主催する毎年恒例のイベントで、八王子市内の市民団体の活動を紹介し、市民とふれあうイベントとして、これまでも八王子市内のさまざまな場所や形式で開催されてきましたが、本年度は10月にオープンしたばかりの「東京たま未来メッセ(東京都立多摩産業交流センター)」で開催され、60以上の市民団体が参加されたようです。
イベント当日は本会会長の黒須隆一氏をはじめ、八王子市の木内基容子(きうちきよこ)副市長ほか市役所の皆様、おもてなし国際協議会の会員の皆様、八王子市在住の台湾人の皆様など、大勢の方々にお越し頂きました。
会場では私たちの団体紹介とともに、台湾のお菓子を紹介・販売したり、他団体様との交流も出来、大変有意義な一日となりました。
今回、フェスティバルにお誘いくださった、おもてなし国際協議会の長野岩雄代表をはじめ、出展・運営に協力してくださった協議会の皆様に感謝申し上げます。
今後もこのようなイベントを通じて、台湾友の会の活動を広めていけることを期待しております。
台湾友の会 事務局長 鄧淑晶
<イベントのお知らせ>「台湾×八王子市民 パラオンライン交流会2022」
2020年東京大会の1周年を迎える今、八王子市と台湾とのホストタウン交流を、どのような形でのオリンピックレガシーとしていくかが、大きな課題になっています。
本交流会は八王子市のホストタウン交流国 台湾パラリンピアンとの意見交換を行うことで、文化や習慣などの多様性を認め合うとともに、東京2020大会で、台湾のパラリンピアンが何を感じ、八王子市では、どのような準備をしてきたのか、また、今後、オリンピックレガシーとして、どんなことを進められるのか等の思いを共有するために、開催します。
【内容】
①来賓挨拶
②八王子市民団体からのホストタウン活動映像と活動報告
③台湾パラリンピアンからの東京2020大会報告
④台湾パラリンピアンへの質疑応答
⑤まとめ
【実施概要】
名 称:「台湾×八王子市民 パラオンライン交流会2022」
日 時 : 9月23日(金)15:00〜16:30(14:50までにZoomへ入室)
場 所:Zoom(日本会場 八王子市クリエイトホール第5学習室)
お申し込みフォーム:https://bit.ly/3RfgFh1
お問い合わせ:omotenashi.i.c@gmail.com
080-3572-9025 (担当 長野)
主 催:一般社団法人 台湾友の会
NPO法人 おもてなし国際協議会
中華パラリンピック総会
後 援:台北経済文化代表処
八王子市
八王子市教育委員会
▲「台湾×八王子市民 パラオンライン交流会2022」映像
台湾の世界保健機関(WHO)への参加支持について
台北駐日経済文化代表処
代表 謝長廷大使様
2022年5月12日
一般社団法人台湾友の会
会長 黒須隆一
台湾の世界保健機関(WHO)への参加支持について
拝啓
初夏の頃となりましたが、謝大使におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
日本は、台湾と文化・観光・経済など様々な分野を亘り交流を行っており、お互いに重要なパートナーです。私は会長になる前、八王子市長として2006年から台湾と青少年交流をはじめ、政府関係者との交流を活発に図り今日に至っております。
一方、2020年初頭に新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、医療体制はこれまで以上に関係各国・地域との連携が不可欠だと痛感しております。
しかしながら、台湾は、平成21年(2009年)以降8年連続でWHO年次総会へオブザーバー参加し、保健衛生分野において国際貢献してきたにもかかわらず、平成29年(2017年)以降はオブザーバー参加が認められなくなってしまいました。新型コロナウイルス感染症を一日も早く終息させるためには、国際的な防疫体制の構築が必要であり、そのためには、台湾が取り残されることは絶対に許されることではないと存じております。
また、WHO憲章では「到達しうる最高基準の健康を享有することは、人種、宗教、政治的信念、又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに万人の有する基本的権利の一である。」と掲げており、こうした理念に照らしても、保健衛生分野の豊富な知見・経験を持つ台湾の参加が妨げられる事があってはなりません。
台湾友の会は、日本の一民間団体として、台湾のWHOオブザーバー参加を一日も早く実現できるよう、日本政府をはじめ多くの日本国民に働きかける努力を致す所存です。
末筆ながら、一層のご隆盛を衷心よりお祈り申し上げます。
敬具
バルトン氏銅像復元除幕式映像(台北会場)の公開について
月日が経つのは本当に早いものですね。去年(2021)3月30日に台北市自来水博物館で行われたスコットランド人ウィリアム・K・バルトン(William K. Burton)氏銅像復元除幕式から、今日でちょうど丸一年が経ちました。
今日は「台湾の水道水の父」のバルトン氏の功績を偲ぶとともに、去年撮影した台北会場の日本語版、中文繫体字版の映像が完成しましたので、ここに公開いたします。
式典はコロナの関係で台北会場と東京会場とをリモートで結ぶ同時開催方式で行われました。台北会場では柯文哲氏(台北市長)、泉裕泰氏(日本台湾交流協会台北事務所代表)、ジョン・デニス氏(英国駐台代表)ら関係者が多数ご出席されました。
東京会場では、会長の私とわずかなスタッフの他、謝長廷氏(駐日代表)や稲場紀久雄氏(日本下水文化研究会代表)、そしてバルトン氏の玄孫ケヴィン・メッツ氏(Keven Kmetz)もご参加され、小池百合子氏(東京都知事)の祝辞(代読)や古屋圭司氏(日華懇会長)などからの祝電も紹介されました。水不足の現在、出席者は「飲水思源」しつつ、バルトン氏の功績を偲びました。また、本会は稲場紀久雄博士と共にバルトン氏の銅像の除幕式に尽力し、立ち会えたことを非常に嬉しく思います。
私個人的にはバルトン氏を台湾に招いた後藤新平の以下の言葉を座右の銘としています。
「金を残して死ぬのは下、事業を残して死ぬのは中、人を残して死ぬのは上」
今後も日台関係のさらなる発展のため、バルトン氏のみならず今なお台湾のインフラ整備に貢献されている方々の事業を歴史の記録として映像制作する等、微力を尽くして参りたいと思います。
ひき続きご協力、ご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
また、式典映像を楽しんでいただけると幸いです。
2022年3月30日
一般社団法人 台湾友の会
会長 黒須隆一
▲ バルトン氏銅像復元除幕式映像【日本語字幕版】
▲ バルトン氏銅像復元除幕式映像【中文版】
台湾・日本多文化共生フェスティバル2021
コロナ感染発生当初正式に法人化した本会にとって、これからの台日交流をどのように行うかが大きな課題になりました。ここでまず、台湾の駐日代表謝長廷様が海外友好交流都市の見本となることを称賛している八王子市と高雄市に、今回のリモート方式による「台湾・日本多文化共生フェスティバル2021」開催に多大なご理解、ご協力をいただいたことに心より感謝申し上げます。
八王子市と高雄市は2006年11月1日に友好交流協定締結以来、今年はちょうど15周年となりました。この間青少年読書感想画展、音楽、スポーツ交流をはじめ、八王子まつり、高雄ランタンフェスティバルなどの相互派遣参加などの人的交流が盛んに行われてきて、絆が深まってきました。
八王子市からの動画は、1市長メッセージ、2日本遺産の動画、3観光動画(滝山城址・八王子芸者衆の2本)、高雄市からの動画は、1市長メッセージ、2企業誘致、3高雄市の観光についてです。これらの動画から両市の魅力などがわかっていただければ幸いです。
次に、「台湾・日本多文化共生フェスティバル2021」で、8月10日の日本文化紹介と9月14日の黒須会長の講演と台湾大学研究生協会との意見交換を収録しました。これらは日本工学院八王子専門学校のご協力を得て、無観客での収録となりました。
日本文化の紹介の内容は、1ひまわり、百合、梅、あやめ、菊、バラをイメージし結んだ帯の着物姿と日本の冠婚葬祭時(留袖、訪問着、振袖、振袖、七五三)に着用する着物姿、2剣舞「白虎隊」と詩舞「桜祠に遊ぶ」の詩吟、3大正琴の演奏で、曲名は①津軽じょんがら節②越冬つばめ③サントワマミー④WAY⑤流風⑥リベルタンゴの6曲、4忍者の解説、手裏剣などの実演でした。素晴らしい演技による日本文化の紹介にご尽力いただいた各団体にも感謝申し上げます。
そして、黒須会長は「歴史から紐解く台日の絆」というデーマで日本と台湾との深い絆の礎について講演いたしました。日本が台湾を統治した50年間の4代目の総督の児玉源太郎、民生長官の後藤新平、7代目総督の明石元二郎、土木技術者の八田与一らの功績を中心に紹介した内容でした。また、意見交換では台湾大学の大学院生から「日本と台湾の相違(政治、選挙など)」「日台間の連携」「若者の自殺」「日本の政権交代の可能性」など多岐にわたる質問が寄せられました。このように台湾の将来の中心的な役割を担う若者との意見交換が積極的に行われ、台湾大学研究生協会との交流がより深まりました。
この講演会実施にあたり、台北駐日経済文化代表処代表謝長廷様、台湾監察院院長陳菊様、高雄市市長陳其邁様、台湾観光協会会長葉菊蘭様より、お祝いのビデオメッセージをいただき、ここで併せて深く御礼申し上げます。
このように「台湾・日本多文化共生フェスティバル2021」の内容は意義深いものですので、皆さんにぜひご覧いただきたく存じます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
実施記録写真(日本文化の紹介)
貴賓からのお祝いメッセージ
【報道】 出所:台灣・日本多文化共生嘉年祭登場 台灣友之會與台大研究生交流 – 台湾新聞 (taiwannews.jp)
台灣・日本多文化共生嘉年祭登場 台灣友之會與台大研究生交流
2021年9月14日 線上活動紀念合影
【東京/採訪報導】一般社團法人台灣友之會於九月十四日透過線上的方式舉行「台灣・日本多文化共生嘉年祭2021」,由會長黑須隆一舉行專題演講,並台灣大學研究生協會進行意見交流,活動中台大的研究生們反應都很熱烈,也提出不少台日相關的問題,雙方也期盼疫情結束後能面對面交流。
這次的活動因為疫情的關係,採取線上會議的方式舉行,駐日代表謝長廷、監察院院長陳菊、高雄市市長陳其邁、台灣觀光協會會長葉菊蘭也都透過影片的方式表達對活動的肯定,以及感謝台灣友之會自創立以來,致力促進台日關係友好和貢獻等,日本工學院八王子專門學校副校長山野大星也專程出席,他也提到,目前因為疫情的影響,校內僅有51位台灣留學生,希望疫情後有更多留學生可以來就讀,也期望跟大家碰面。
在專題演講中,黑須會長以「從歷史演藝台日關係」為題進行演講,提到台灣和日本友好的關係,可以從歷史上看出一些蛛絲馬跡,像是在日本統治台灣的50年間,兒玉源太郎、後藤新平、明石元二郎,以及八田與一等人,都為台灣的民生設施、基礎建設等帶來很多改變,跟一般歐美統治殖
民地的方式不一様。
黑須會長進行演講
黑須會長也提到,雖然很多人對日本抱存感謝,也有很多人對日本反感,但這就是統治的真實狀況,他也在許多台灣人身上感受到日本精神,而且台灣不僅食物好吃、治安良好、景點很多外,對人也很親切,他也在與台大生交流的過程中獲得能量,而這次疫情期間,口罩和疫苗的捐贈,都證實了台日之間強烈的羈絆。
在接下來的意見交流會中,台大學生提問非常踴躍,除了詢問黑須會長在以前從政的經驗外,也特別關心日本目前正面臨可能會政權交替的期間。黑須會長提到,目前在野黨對於國家認同感比較低,比較重視日本國內,如果真的由在野黨當選,對台對中的關係可能會有所改變,他比較擔心這點。
台大研究生積極提出問題
另外也有研究生提到,目前國際對台灣非常關注,日本是否能在美日安保外,與台灣建立實質的安保關係,例如台灣關係法等,以及是否會對因為中日經濟關係影響到台日關係。對此黑須會長回應,因為日本的法律制定上有較多考慮,會比較困難,但已經有國會議員在推動日台交流法,需要多一點時間進行。而關於經濟影響的問題,黑須會長則表示,這不是兩邊誰的問題,不論是跟台灣或是中國的合作,對日本來講都很重要,但經濟不能太過單一依賴一個國家,這對台灣和日本來講都是必須解決的課題。
意見交流結束後,眾人也一同在線上會議中留下大合照,並相約疫情結束後再相會,此外影片也會在今年的十一月三日在YouTube上播出。
講演内容
テーマ「歴史から紐解く台日の絆」
改めて皆さんこんにちは。
八王子市長時代、ご縁があって高雄市と友好交流都市の盟約を結び以来、様々な交流を続けて参りましたが、台湾の皆様の素晴らしい人柄に接し、このまま終わるのはあまりにも忍びない。そんな思いで退任後直ちにNPO法人八王子・台湾友好交流協会を設立するとともに現在では謝長廷大使の肝煎りで設立された台湾友の会会長としても交流を重ねているところです。
より多くの日本人に台湾の良き理解者、そして応援団となって欲しい。そんな思いで日々活動を続けています。
各種団体から台湾に関する講演依頼を多く頂いていますが、つい先日は八王子市民大学の講座で3日間に亘り「台湾の成り立ち」、「日本統治時代」、そして「日本の敗戦とその後の台湾」を3部構成で講演しました。
定員の2倍を超える申込みがあり会場の変更を迫られる程でした。多くの市民が台湾に強い関心を持っていることに感動するとともに大変な心強さも感じたところです。
折角ですので、この機会に講演の一部を紹介させて頂きたいと思います。
台湾と日本は強い絆で結ばれていますが、何故にそうなったのか。歴史を紐解くことによりヒントが得られるのではと思うからです。
中心的な世代が大きく変り、日本が台湾を50年間統治したことを知らない人達が数多くいます。
未だに台湾が中国の一部だと思っている人達も少なからずおります。
“50年に亘る日本統治はどんな内容だったのか。”
“何故台湾の人達は親日なのか”。
その様な疑問を持って参加される方が多い様です。
中には、こどもの頃台湾で育った。仕事でかつて台湾に駐在し、台湾の人達との交流が忘れられない。或いはつい最近迄主人の仕事で家族が駐在した等、懐しさと台湾についてもっと知りたい、理解を深めたい。
そんな思いで参加される方もいらっしゃいます。
その様な視点から改めて皆さんとお浚いをして見たいと思います。
日本統治当初の台湾は「化外の地」また「難治の島」と呼ばれており、風土病、ゲリラ、部族間の衝突、アヘンの四害。特に風土病の蔓延により当時の平均寿命は30才に到らなかったとの説もあります。
当時の人口は250万人と推定されていますが、その6%を超えるアヘン中毒患者がおり、当然近代的な教育制度は無く、識字率も著しく低い。
まさに、どこから手を付けていいやら分からない状態であったようです。
当初、住民は日本への割譲を知らず徹底抗戦をする。また、ゲリラとの激しい戦いに明け暮れたため、3代乃木総督迄は開発の成果は全く上がらなかったとのことです。
このことは皆さんが多分ご存知ないと思いますが、実は私も最近知りました。割譲2年後の1897年の帝国議会において、台湾統治のための財政負担が過大すぎる故フランスへ1億円での売却が真剣に議論されたとの記録がありました。これには驚きました!
4代目の総督に就任した児玉源太郎、民生長官となった後藤新平により台湾は、近代化の第一歩を踏み出したと言えるでしょう。当初の力による統治ではなく台湾人により添ったものであった為、人々の理解が得られたものと思われます。
児玉源太郎は軍人政治家ではありますが、類いまれな「国づくりの達人」と言われた人であり、医学博士でもあった民生長官後藤新平との8年間に亘る統治が台湾を大きく変えました。
1898年の日本の国家予算が2.2億円だったにも拘らず、児玉総督は台湾開拓整備費に6千万円を要求、これは認められませんでしたが、翌1899年4千万円の公債発行が認められたとのこと。この様な統治政策は世界に例を見ません。
欧米諸国の統治は植民地からただ搾取をするのみでしたから。
後藤新平民生長官の取り組みについて代表的なものを幾つかあげてみます。
120名の医師を内地から派遣するとともに病院を10ケ所設置しました。
上下水道の整備は東京より早かったといわれています。
その結果、世界有数の伝染病根源地といわれた台湾からあらゆる伝染病が消えることになります。
アヘンは当時全島人の6、1%17万人が中毒或いは常習者といわれていましたが、只禁止するのではなく、常習者に対しては専売制とし新たな吸引者は厳罰に処すことにより患者の自然減少を図り成果をあげました。
ゲリラ問題は当初統治で最大の課題であったことは先に述べました。
児玉総督、後藤長官は大頭目20名に着目、税の免除、更生のための資金、土木工事の請負等を条件に、帰順を説得したことにより大頭目が帰順、その後中小のゲリラも次々と帰順しました。勿論帰順に応じないものもいましたが、それらに対しては厳しく対応。いわゆる「アメとムチ」で、5年後の1902年にはこれからの抗日運動は終わることとなります。5年でゲリラを抑え込んだのは、まさに「奇跡」といわれています。
これらの根底にあったのが後藤長官のいう「生物学の原則」「生物学的植民地経営」です。有名な例えとして「ヒラメの目を鯛の目に付け替えることは出来ない」生物学上必要であってヒラメは一方に目が2つある。
政治にもこれが大切だというのです。
例え悪習でも他民族の習慣を尊重しながら時間をかけて解決する。まさに見事だと思います。この話はご存知の方も多いと思います。
その他にも南北縦断鉄道の建設、サトウキビの品種改良、基隆港高雄港の築港、台湾銀行の設立等々、後に「台湾近代化の父」とも称されるように、台湾の近代化に大きく貢献しました。
後藤新平の座右の銘は「金を残すは人生の下、事業を残すは人生の中、人を残す人生こそが上なり」。
私もこの言葉は大好きで少しでも実践できるよう努力しているところです。
第7代の明石元二郎総督も台湾の発展に大きく貢献した一人であります。1918年就任しましたが日露戦争の英雄でもありました。諜報活動の専門家として活躍、明石一人で兵20万人の働きをしたと言われた人です。
明石総督は全ての統治政策の中で教育を最優先すると「教育改革」を実施し、師範学校、工業、商業、農林学校等を開校しました。
また基隆から高雄迄の縦断道路に着工、そして日月潭に大規模発電所の建設にも取り組みました。
その後、皆さんが学ぶ台湾大学、当時の台北帝国大学、台北高等学校が開校されましたが、植民地に大学を設置した例は日本以外にありません。「化外の地」といわれた台湾に日本内地と同等の教育体制が整備された訳です。
1945年時点、統治50年で台湾の人達の就学率は実に92%に達したとの記録があります。一方、オランダが360年間植民地として統治したインドネシアの就学率は僅か3%でありました。
何より明石総督は19人の総督の中で唯一人台北に埋葬されています。
既に内地に帰っておりましたが、亡くなる際台湾に埋葬されることを望み、遺族が分骨し埋葬したとのことです。
こよなく台湾を愛し、強い思いを持っていた証ではないでしょうか。
もう一人台湾を語るときに忘れてはならない日本人に八田與一がおります。多分皆さんも教科書で学び良くご存知のことと思います。
烏山頭ダムを造り、一面不毛の大地を台湾最大の穀倉地帯に変えました。現在でも「嘉南大圳の父」と慕われ台湾で最も尊敬される日本人と聞いています。
台湾訪問時には、しばしば現地を訪れますが、八田與一の銅像前には常に花や果物が手向けられており、同行者は例外なく手を合わせ感動します。
八田與一は工事の犠牲者134人の慰霊碑をつくる際も台湾人と日本人を差別なく名前を刻みました。
その様な人間性も尊敬される要因の一つだったのではないでしょうか。
明治の人達の志の高さ、国家感、そして実践力に心から敬意を表したいと思います。「ともに近代化を目指そう」との呼び掛けに台湾の人達が応える、応えられる人達であった。
このことは日本人にとっても台湾人にとっても幸せなことであったと思うのです。
「日本精神」が伝わる気性が台湾人にあった。
台湾語に「あさり」という言葉があると聞いています。
潔いこと「あっさり」を意味し褒めることばと聞き嬉しく思いました。
李登輝元総統は「台湾の基礎は殆ど日本統治時代に造られた。当時の日本人に感謝する」
「日本人は台湾で偉大なことをやった」「公平に評価すべき」と仰いました。日本人として大変嬉しいことです。
勿論日本人に対して「感謝」のみならず、当然「反発」もあったでしょう。それが統治時代の真実だとは思います。
改めて明治の先人達は凄かったと思います。
明治人の高い志に基く統治に台湾の人達が見事に応え今日に至っている。これらのことが現在の台湾と日本の強い絆の礎となっている。私はそんな風に考えていますが如何でしょう。
さて、話は変わります。
2006年の高雄市との盟約締結以来、昨年の2月が最後となっていますが、70回近く台湾を訪問しました。
台湾の食べ物は何でも口に合います。美味しいです!
治安は良く安心して滞在できます。見所も沢山あります。
タクシーが安いです!でも何が一番好きかと聞かれたら、即座に“台湾の人が好き”と答えます。
特に親切なこと、思いやりのあること、家族を大切にすること等々です。
ひとつだけ未だに深く反省し悔やんでいることがあります。
台北駅で大きく重いトランクを持ち新幹線のホームにエスカレーターで下りようとしたところ故障して使えないことに気づきました。
困ったなと思っていたところ若い男性が「持ちましょう」と身振りで近付いて来ました。私は「大丈夫ですよ」とお断りし長い階段を下り始めましたが、再び「持ちますよ」の手振り。しかし私はまた断ってしまいました。
どうしてあの時「ありがとう」と素直に親切を受けられなかったのか。彼は信頼されていないと思ったかもしれません。“申し訳なかった”と未だに悔やんでいる苦しい思い出です。
今迄出会い友人となった方々全てが「親友」になりたい人達ばかりです。
中でも台湾大学の学生の皆さんとの交流からは沢山のエネルギーを頂いています。ありがとう。
コロナ禍により昨年2月を最後に大好きな台湾を訪問できないこと、台湾の友人達と会えないことが一番残念であり、寂しいことです。
でも台湾に関する新聞記事は全てスクラップしてありますので、台湾のことは良く承知しているつもりです。
コロナの件ではサーズの経験を活かしたとはいえ、昨年の初期対応は素晴らしいものでした。
消毒、検温、マスク、中国との空路遮断等台湾政府の危機感、スピード感、併せてIT活用等全てに於いて日本の見習うことばかりでした。
特にIT担当のオードリー・タン大臣のことは多くの日本人が知っています。私も著書を読ませて頂きました。
台湾の皆様から大量の医療用のマスクを頂き配布した医療機関から大変喜ばれました。
先日、日本政府より台湾の皆様にワクチンの提供がありましたが、私個人にも官民多くの友人達から感謝のメッセージが寄せられました。
これらは謝長廷大使がよく仰いでいます「善の循環」そのものだと思います。まさに台日が強い絆で結ばれている証だと言えるでしょう。
オリンピック、パラリンピックが無事終了しました。
コロナ禍は第5波ともいわれ、収束の兆しも見えない極めて不安定な状況での開催となりましたが、結果的には世界中の人達に勇気と希望をもたらしたのではと思います。
台湾の選手の活躍は金2つを含む12個のメダル獲得という素晴らしいものでした。
柔道60KG級高藤選手と台湾の楊勇偉選手の決勝戦はどちらにも勝って欲しいと複雑な思いでの応援でした。もしかすると私の体半分は既に台湾人なのかも?
私達の町八王子市は台湾のパラ・パワーリフティング選手団の事前合宿地となり、歓迎の準備を進めておりましたが、残念ながら中止となってしましました。
再び話は変わります。
私は過去10回の選挙を経験して来ましたが、台湾の選挙制度で異和感を感じることがあります。
それは国会議員の方が市長選挙等他の選挙に立候補した際、例え落選しても国会議員の席を失わないことです。
即ち国会議員に戻れるということです。
日本では全ての退路を絶って新たな挑戦をします。
もうひとつは選挙が大変派手ですね。かつて日本の選挙も多額のお金を必要としました。
今では選挙の費用は厳しく制限されています。
国からの一定の補助もあります。
もっと若い人が積極的に政治参加すべきと思いますが、多くの費用を必要とするのであれば、そのチャンスは限られます。余計なことかもしれませんが、愛する台湾のことで気になることのひとつです。
さて、親愛なる台湾大学研究生協会の皆さんに私は大きな期待を寄せています。
皆さんは、台湾の政治、経済の中心的な役割の担い手となる方々です。即ちあなた方が台湾の将来に責任を持つということです。是非台湾という国に自信を持って欲しいのです。
ITをはじめ先端技術等世界をリードする分野は数多くあるのですから。
隣の大国、中国と比較すると萎縮するかもしれませんが、人口的にも決して小さな国ではありません。
例えばオーストラリアは2536万人、台湾と大きく変わりません。ニュージーランドは492万人、北欧のスエーデン1022万人、デンマーク581万人等々です。
これらの国々は自由と民主、人権を大切にする、我々と共通の価値観を持った国々です。
皆さんはもっと外に出て、台湾の存在感を示すとともに、台湾の置かれた立場を諸外国に理解して貰う努力が必要であります。
併せて外国の人達が台湾をどう見ているのか肌で感じること、このことは最も大事なことの一つです。
日本へももっと来て下さい。日本の良い所を学んで欲しいと思います。
心から歓迎します。
台湾の未来は皆さんの双肩にかかっているのですから、皆さんの活躍に心から期待します。
以上です。ご静聴ありがとうございました。
(中譯版)
在這裡,再次跟各位問好。
我在任職八王子市市長期間,因緣際會下與高雄市締結成為了友好交流城市,從那之後和許多台灣人有所往來,也進行各式各樣的交流,如果就這樣斷了交流實在令我難以接受,抱持著這樣的想法,在卸任後就創立了NPO八王子・台灣友好交流協會,同時也接受謝長廷大使邀請擔任他大力促成的台灣友之會會長一職。
希望讓更多日本人能理解台灣、支持台灣,並且讓台灣人更喜歡日本。在這樣的理念下我持續進行著台日交流活動。
這些年來,我受邀參與許多關於台灣主題的演講,不久前在八王子市民大學的講座上,以「台灣的成立」、「日治時期」以及「日本戰敗後至今」等三個主題進行了演講最令我印象深刻。因為報名參加的人數超過預定人數的兩倍,所以不得不更換場地,我心中一方面感動於這麼多的市民對於台灣的關心,一方面也受到了鼓舞。
因此,趁這個難得的機會,我想和各位分享一部份這個演講的內容。台灣和日本之間的確有著很深的羈絆,但這是為何呢?我個人認為從歷史的角度來解釋的話,是可以找到一些蛛絲馬跡的。
經歷了世代更迭,可能已經有很多人不知道日本曾經統治過台灣長達50年之久,另外,覺得台灣是中國的一部份的人應該也不少,而抱持著「在日本統治的50年間到底有什麼樣的事發生呢?」又或者「為何台灣人普遍親日呢?」這樣的疑問的人應該也頗多。
當時來參加講座的人當中,有些人是小時候在台灣長大的,有些人是曾經派任台灣後仍持續和台灣朋友交流的,又或者是直到最近 因為先生工作而全家派駐在台灣的,當然還有些是懷念台灣且希望更加理解台灣的人們。
抱持著這些想法,我想再次跟大家老調重彈一下。
當初,日本在統治台灣時,台灣被稱作「化外之地」,又或者是「難以治理之島」,有著風土病、抗日民眾、部落間的衝突以及鴉片等四個問題。據說特別是因為風土病的蔓延,導致當時的平均壽命才不到30歲。另外,根據推測當時的人口數大約為250萬人,但有抽鴉片習慣的人就超過總人口的6%,想當然耳,當時也沒有現代的教育制度,所以識字率相當低。可以說是無從下手整治的狀態。還有,原先很多居民們並不知曉台灣已經被割讓給日本而拼命抵抗。由於日本政府與抗日民眾間的激烈爭鬥,因此一直到第三代總督為止,開發成果還是完全無法提升。
直到第四代總督兒玉源太郎和民政長官後藤新平上任後,台灣終於可以說是邁出了近代化的第一步。我認為當時是因為不使用武力治台灣,而是採取更加貼近台灣人心、得到台灣人的理解才得以成功的。兒玉源太郎既是軍人出身的政治家,亦被稱為「立國達人」,他與身為醫學博士的後藤新平在共同治理台灣的8年期間,為台灣帶來了很大的改變。
有件事可能許多人都不知道,其實我也是最近才得知的,台灣在被割讓後的第二年,也就是1897年,當時的帝國議會,也就是日本國會,曾有議論過「因為統治台灣的財政負擔過於龐大,而考慮將台灣轉賣給法國」的會議紀錄。我知道後也嚇了一跳!
1898年日本的國家預算為2.2億日幣,而兒玉源太郎所要求的開拓台灣整備經費6千萬日幣也就被駁回了(也就是佔了總預算約40%),但隔年1899年兒玉源太郎就爭取到了4千萬日幣的公債發行。這種治理政策在世界上是史無前例的,因為歐美各國對殖民地的統治方針只是單純的壓榨而已。
就舉幾個後藤新平的政績來看看吧!從日本內地派遣120名醫生到台灣,並設置了10間醫院,還有比東京更早完備的供水及地下水道系統,結果,這成功地將被稱為傳染病發源地的台灣脫離了傳染病之苦。
鴉片成癮者在當時佔了島上人口的61%,約17萬人,而當時的政策是對既有吸食者採取專賣制,而對新吸食者則嚴逞,如此一來,吸鴉片者就自然地減少了。
而剛才曾提到過的反日民眾問題是當時治理上最大的難題,兒玉源太郎和後藤新平兩人將重點放在原住民的20名大頭目上,以免稅、地方建設資金、土木工程的承包等條件說服他們歸順政府,之後中小型的抗日群體亦逐一歸順。當然這其中也有不願意歸順的部分,對這些人就採取了嚴厲的措施,即所謂的「糖果與鞭子」,就是恩威並施,在政策實施的5年後,也就是1902年時,這些抗日運動終於劃下了句點,僅僅5年就解決了抗日問題,這只能稱之為「奇蹟」了吧!
這一切成功的基礎都是建立在後藤新平主張的「生物學原則」之上,舉個比較有名的例子,就是「比目魚的眼睛是不可能取代鯛魚的眼睛」的兩魚論,在生物學上比目魚的眼睛都是長在同一側,而這種論調在政治上也是很重要的,即使是惡習,也要在尊重其他民族習俗的前提下等待時間解決這些問題。這真的是非常成功的做法,我相信在座的各位很可能也都知道這個論點。除此之外,也建設了南北縱貫鐵路、改良甘蔗品種、蓋了基隆及高雄港和設立台灣銀行等等,也因此被稱為「台灣近代化之父」,對台灣的近代化帶來了很大的貢獻。
後藤新平的座右銘是「只留下金錢的人生是三流,留下事業的人生是二流,留下人才的人生是一流」,我個人也非常喜歡這句話,即使只有一點點,但也希望能努力實踐!
第七代的明石元二郎總督也是對台灣的發展有著很大的貢獻,在1918年上任的他也是一位日俄戰爭的英雄。明石元二郎在所有的治理政策中最重視教育問題,他實施教育改革,創立了師範、工業、商業、農林學院等;另外,完成了自基隆到高雄間的公路以及日月潭的大型發電廠的建設。
在這之後,各位所就讀的台灣大學,也就是當時的台北帝國大學和台北高等學校也一一建校,在殖民地建設大學的,除了日本以外也沒有其他國家這麼做了,可以說是在「化外之地」的台灣設立了與日本國內同等的教育體制。
日本開始統治臺灣50年後的1945年,台灣人的就學率已經達到了92%了。而另一邊,荷蘭統治了360年的殖民地印尼的就學率僅僅只有3%而已!
最值得一提的是,明石元二郎總督是歷任19位總督中唯一將遺骸分葬在台北的,雖然已經結束任期回到日本國內,但在過世前向親人表達了希望葬在台灣的遺願,這不正是深愛台灣最好的證明嗎?
另一位在與台灣人交流時一定不會漏掉的日本人是八田與一,大家可能從課本上已經知曉了許多關於他的事了吧!
他建造了烏山頭水庫,讓貧瘠的大地搖身一變成為臺灣最大的糧倉。現在八田與一被尊稱為「嘉南大圳之父」,我也聽說他至今仍是臺灣人最尊敬的日本人。我訪問臺灣時,也好幾次到烏山頭水庫附近,常常看到當地人在八田與一的銅像前供俸花束和水果,和我同行的人們知道這個事實後也都非常感動。八田先生為了這些建造嘉南大圳而犧牲的134位工人,不分日本人和臺灣人都在紀念碑上刻了他們的名字。這樣無差別待遇的人格特質,或許也是八田先生深受尊重的一個原因吧。
明治時代的人擁有崇高的理想、國家認同感以及行動力,我對這些特質由衷表示敬意。臺灣人們也都呼應了「一起創造近代化的社會」的目標一起努力。這件事不論是對日本人還是對臺灣人來說,都是非常幸福的一件事。在臺灣人身上,確確實實地感受到了日本精神。
我聽說臺語中有一個詞叫做「阿莎力」,它是一個表示簡單、俐落、乾脆,帶有讚賞意思的詞,我知道這件事時也很高興。
李登輝前總統說過「臺灣的基礎都是日治時代建立起來的,我很感謝日本人」,「日本人在臺灣做了很多很偉大的事」「我們應該公平的評論他們」。能聽到這些話,對日本人的我來說,是非常高興的事。當然,除了對日本人的感謝之心,反彈情緒也同時存在。我認為這就是「統治」時代真實的一面。我再一次覺得這些明治時期的先人們都非常偉大,因為他們的這些想法,才有如此政策,它們也成為了臺日之間良好關係的基礎。我是這樣想的,不知道各位的看法如何呢?
接下來,再讓我換個話題吧。
自從2006年與高雄市締結友好交流城市以來,直到我去年二月最後一次前往為止,我大概去了臺灣七十次左右。
臺灣的任何食物都很合胃口,每個都很美味好吃。而且治安也很好,可以很放心的旅遊,而且觀光景點多,計程車資也很便宜。如果問我「最喜歡臺灣的什麼地方呢?」,我會說我最喜歡的是臺灣的人。特別是喜歡臺灣人的親切、為他人著想,以及重視家人的這些特質。
有一件事,我直到現在都很後悔。有一次,我提著又大又重的行李打算在台北高鐵站的月台搭手扶梯下樓時,發現手扶梯故障了沒辦法用。我正不知道該怎麼辦的時候,有一位年輕男性過來跟我說「我來幫你拿吧」,我跟他說沒關係,然後自己提著行李下樓梯,那位年輕男性又向我說了一遍「我幫你吧」,只是我又拒絕了。為什麼那個時候我沒有坦率地接受他的好意呢?也許他會誤以為不被信任吧!直到現在我對此事還是耿耿於懷,覺得很抱歉也很後悔。
目前為止我遇到的臺灣朋友們都是很值得深交的人。其中我從和臺灣大學的學生們的交流中得到很多正能量。非常謝謝大家!
疫情之前我每年去臺灣好幾次,但因為疫情關係,去年二月之後就沒再去臺灣拜訪朋友了,我覺得非常無奈。但是我把和臺灣有關的新聞全部剪貼蒐集起來,因此最近臺灣發生了哪些事情我大概都知道。
例如疫情的應對方式。因為臺灣有過SARS的經驗,在疫情初期的應對就十分完善。消毒、量體溫、戴口罩、進行與中國之間的邊境管制等等,這些臺灣政府的危機意識和效率,以及妥善利用科技來防疫,都是日本應該學習的地方。尤其是負責開發整合數位資訊系統的唐鳳政委,在日本非常有名,我也讀了他的書。
臺灣捐贈了大量的醫療用口罩給日本,日本的醫療機關也都非常感謝。之前日本政府也向臺灣提供疫苗,我也因此收到很多來自臺灣官方及民間的感謝訊息。這可以說是台日關係更為強化了的證明吧!
今年奧運最後以無觀眾的方式舉行,實在相當可惜!疫情似乎還看不到盡頭,但在這樣的情況下,臺灣選手贏得了包括兩面金牌在內的十二個獎牌,有非常好的表現。我在看柔道六十公斤級的決賽時,不論是日本的高藤選手,還是台灣的楊勇緯選手,我都好希望他們能贏。我帶著複雜的心情看著比賽給他們加油,或許,我已經變成半個臺灣人了吧!
我再換個話題。
雖然我在過去經歷過十次的選舉經驗,但我還是感覺臺灣的選舉制度有點奇怪。那就是,臺灣的立法委員可以帶職參選市長等其他選舉,就算落選了也不會失去原本的席次,可以馬上回去繼續當立委。在日本的話,候選人都會斷掉所有退路,以示面對新選戰的決心。
另外還有一件事,臺灣的選舉非常鋪張,過去日本的選舉也是需要大量的金錢。但是現在,日本的選舉經費都被嚴格地限制,而且國家會給予一定金額的補助。我認為應該要讓年輕人積極的參與政治才對,但是如果需要大量選舉資金的話,這樣年輕人出來參與政治的機會就被限制了。由日本人的我來說這件事或許有點僭越,但這是我對於我所愛的臺灣感到有點在意的事情。
我對於臺灣大學研究生協會的同學們抱持很高的期待。各位將來都是台灣政治、經濟方面的重要旗手,也就是說,你們將是肩負臺灣未來責任的人。請務必對臺灣這個國家有更多的信心。因為臺灣以IT資通訊科技技術為首,領先世界領域的為數甚多。
和鄰近的中國相比,或許看起來很小,但是就人口來說絕對不是一個小國家。例如澳洲有2536萬人口,和臺灣其實相差不大。其他像紐西蘭的492萬人口、瑞典的1022萬人口、丹麥的581萬人口也都比臺灣少。這些國家和我們的價值觀相同,都是非常重視自由、民主和人權的國家。
請大家一定要多多走出去,向世界展現臺灣,同時,也需努力讓外國理解臺灣的處境,記得不要太內向太保守了。另外,也請大家多多到日本來,希望大家可以學習日本的優點,我由衷歡迎各位的到來。
在座的各位都肩負著臺灣的未來,臺灣的未來,都落在各位的雙肩上,我很期待大家日後的表現。
我的演講到此結束,謝謝大家!
主催
(一社)台湾友の会 台湾・日本多文化共生フェスティバル2021実行委員会
後援
台北駐日経済文化代表処
高雄市
八王子市
台湾大学研究生協会
台湾銀行
台湾中小企業銀行
彰化銀行
第一銀行
兆豊銀行文教基金会
協力
日本工学院八王子専門学校
ホームページ開設の挨拶
~「日本・台湾多文化共生フェスティバル2021」実施掲載~
皆さん、こんにちは。台湾友の会会長の黒須隆一と申します。
この度は、台湾友の会のホームページを11月3日文化の日に開設することが出来誠に嬉しく思います。
「台湾友の会」は一昨年12月に発足し、昨年2月に一般社団法人としての認可を受けましたが、活動に入る矢先にコロナ禍に遭遇し、台湾との往来が出来なくなりました。この二年近く台湾との交流が出来ないことがこれ程までに切ないこととは思ってもみせませんでした。皆さんもおそらく同じお気持ちでしょう。
コロナ禍の中でも台湾との交流が出来ないものかと考え、せめてリモート方式で日本の伝統文化の一端をご紹介し、合わせて持続的な交流活動が実現出来ることをアピールしたいとの思いで、「日本・台湾多文化共生フェスティバル2021」を企画いたしました。
この企画は4部構成といたしました。日本文化の紹介、講演会と台湾大学研究生協会との意見交換、八王子市と高雄市とのPR、台湾観光のPRです。台湾友の会の活動をより広くお知らせるとともに日台間の経済、文化、スポーツ等各方面の更なる交流促進という台湾友の会の設立目的を果たしたいとの思いです。皆様、是非ご覧いただければ幸いです。
このホームページ開設及び「台湾・日本多文化共生フェスティバル2021」開催実施は台北駐日経済文化代表処、高雄市、八王子市、台湾大学研究生協会、台湾銀行、台湾中小企業銀行、彰化銀行、第一銀行、兆豊銀行文教基金会、日本工学院八王子専門学校などの多くの関係者から多大なご支援、ご協力を頂きました。また、ホームページの立ち上げにより、日本・台湾との交流の情報をより多くの人々に伝え、ひいては日本と台湾との交流に少しでもお役に立てばと考えております。
最後になりますが、緊急宣言解除後の日本と台湾の絆がより緊密になりますよう活動の早期再開を願うと共に、皆様の益々のご活躍を心よりお祈りいたします。
会長 黒須 隆一
会長のあいさつ
「日本・台湾多文化共生フェスティバル2021」開催終了について
皆さん、こんにちは。
「日本・台湾多文化共生フェスティバル2021」は9月14日に無事に開催することができました。ご協力いただいた関係者の皆様に衷心よりお礼申し上げます。
「台湾友の会」は一昨年12月に発足し、昨年2月に一般社団法人としての認可を受けましたが、活動に入る矢先にコロナ禍に遭遇し、今日に至っております。台湾との往来が出来なくなって早一年半が経過しましたが、台湾の友人達との交流が出来ないことがこれ程までに切ないこととは思ってもみせませんでした。本当に残念です。
せめてリモートではありますが、台湾の友人の皆様に元気な姿を見ていただきたい、併せてこの機会に日本の伝統的な文化の一端をご紹介し「日本を忘れないでほしい」そんな思いでこの催しを企画しました。
実施にあたりましては台北駐日経済文化代表処、高雄市、意見交換に参加していただいた台湾大学研究生協会の皆さん、台湾銀行、台湾中小企業銀行、彰化銀行、第一銀行、兆豊銀行文教基金会に多大なご協力いただきました。また、日本工学院八王子専門学校の全面的なご協力をも頂きました。心から感謝申し上げます。
このイベントははじめての試みであり、たくさんの不安な要素がありましたが、ボランティアを中心とした実行委員会の皆さんが手探りながら尽くしていただきました。ご尽力、ご協力をいただいた皆様に重ねて心から感謝申し上げます。
どうもありがとうございました。
会長 黒須 隆一
イベント情報のご案内 ( 2 )
9 月14日 黒須隆一会長による講演と台湾大学研究生協会との意見交換
「バルトン先生銅像復元除幕式典」台北側での映像(中文版)が完成しました!
2021年3月30日(火)、東京(駐日代表処)と台湾(台北水道博物館)をリモート方式で結び、東京と台北の公共衛生や水道の発展に貢献されたバルトン先生の銅像復元除幕式が開催されました。
台湾友の会からは会長の黒須隆一と幹部2名が参加をしました。
当日の映像(中文版)はこちらからご確認ください。